絵を描くという事

高学年くらいになると、「絵がうまくなりたい。」(技術的な面で)欲求が湧くようです。
今週の高学年クラスでは、右脳左脳の働きの話をしました。言語脳である左脳と感覚脳である右脳が絵画のなかでどんな役割を発揮するのか。

自分の経験や記憶の中から予測して処理する左脳メインで絵を描いたときは、意外と目の前のものを観察できていないことがある。(思い込みで描いてしまう。)

自分のデーターの中から探すことができない左脳が嫌うやり方で、自分の手と枝を描いてみました。

手は、描いている手元は100%見ない。見るのは、モチーフとなる自分の左手(または右手)のみとし、ジリジリと時間をかけて描く方法。

枝は、枝を描くのではなく、交差した余白のみを時間をかけて描く。

すると、なんとも実感のこもった線が生れます。

ものを描くとき、いかに、目の前の小さな変化に気づき(余裕がでてくると感動さえるする)、読み取ることができるか。

手のシワや、肉付き、色味、血の気、体温、経てきた時間、その人の背景まで連想できるか。

枝の質感や節、樹皮の張りや、どんな花をつけどんな葉をつけていたのか、経てきた年月、何処に生息していたのだろうか。。そんな想いをはせられるか。

絵を描くとはそうゆうことで、技術は、その中から自然とついてくるはずなのです。

こども達のいう、「絵が上手くなりたい」というのを、技術的なものだけでなく、そんな、気づきや発見や、ちいさな感動の詰まったものであってほしい。と思います。

そして、右脳的な見方に慣れることは、絵を描くことだけでなく。仕事でも、人生においても、役に立つと思うのです。

普段お喋りの多いクラスですが、みんな興味深く、黙々と描いていました。

「こんなにじっくり自分の手を見たことが無かった。」
「変な手になった(描いた)けど、なんか面白い。」

「隙間を描いていると、途中で、枝を描きたくなる衝動にかられた。」
「隙間だけ描いていたら、結果的に絵が出来ていた」
「今まで、左脳メインで描いていたかも。」
「あーー今、右脳モードだと思う!」

など、それぞれ感じるものがあったようでした。^^

(これらは、臨床美術やベディ・エドワーズの書物から学んだ知識と、実践の中で感じたことを書いています。)

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